2023年8月15日放送の「ザ!世界仰天ニュース」で名古屋空港で起きた中華航空140便墜落事故が取り上げられます。
1994年4月26日に台北発、名古屋行の中華航空140便が名古屋空港で着陸に失敗、墜落炎上した事故で乗員乗客271人中264人が犠牲になりました。
墜落事故の原因はパイロットの操作ミスだと言われていますが、機長や副操縦士は誰だったのでしょうか?事故の生存者7名の現在も気になります。
そこでこの記事では
などについてまとめます。
【名古屋】中華航空140便墜落事故の詳細
1994年4月26日、中華航空140便が着陸に失敗して墜落炎上する事故が起きました。
事故の詳細をまとめると、
- 1994年4月26日、中華航空140便が台北国際航空を離陸
- 名古屋空港に着陸に向け順調に下降をしていたのに副操縦士が誤って「ゴー・レバー」(着陸やり直しや離陸開始時に推力を最大にするためのレバー)を作動させる
- 副操縦士が「ゴー・レバー」を作動させたことで「ゴー・アラウンド」(着陸やり直し)モードに移行
- 機長が副機長にゴー・レバーの解除を指示したものの、副操縦士は解除しないままオートパイロット(自動操縦装置)を起動
- 副操縦士は着陸に向け降下を試みたが、自動操縦装置がゴー・レバーに入っていたため、動作に反発して逆に機首が上昇
- 機長が操縦を代わり、着陸をやり直そうとしたもののそのまま墜落してしまった
中華航空140便の墜落事故の事故の発端は副操縦士の操作ミスだと言われています。
副操縦士が誤ってゴー・レバーを作動させ、飛行機はゴー・アラウンドモード(着陸やり直し)に入り、機体が上昇しようとします。
しかし、機長らは着陸するために懸命に機首を下げようとしましたが、コンピューターがこの動きに反発し、水平尾翼が機首上げの方向に限界まで移動。機体は急上昇し失速、墜落して炎上しました。
中華航空140便には乗客乗員271人が乗っていましたが、264人が死亡。1985年の日航機墜落事故に次ぐ、日本の航空史上番目の大惨事となったのです。
中華航空機墜落事故が起きた当時、名古屋空港近くに住んでいた私はたくさんの緊急車両がサイレンを鳴らして走っていくのを目にしました。
燃え上がる炎を見たという友人もいました。
多くの人が犠牲になった中華航空機140便墜落事故ですが、機長や副操縦士が誰だったのか公表されているのでしょうか?
詳しく見ていきます。
【名古屋】中華航空140便墜落事故の機長は誰?
名古屋空港で墜落した中華航空機140便の機長と副操縦士について調べると、次のことがわかりました。
墜落事故を起こした中華航空140便の機長と副操縦士はともに事故で命を落としています。
機長と副操縦士の国籍は台湾であることはわかりましたが、名前や顔画像などの詳細は不明でした。
中華航空140便の機長の男性は、事故を起こしたエアバスの同型機飛行時間は1,350時間で経験豊富。しかし、空軍出身でハイテク機は使い慣れていなかったといった情報もありました。
そして、副操縦士はやや経験が浅く、機長のことを「教官」と呼んでいたとか。経験が浅かった副操縦士がうっかりゴー・レバーを作動させてしまった…
公開されている墜落事故直前の機長と副操縦士のやり取りがあるのですが、機長の最後の言葉がつらすぎます。
「終わりだ」
【名古屋】中華航空140便墜落事故の生存者の現在は?
中華航空機墜落事故では、乗員乗客271人のうち264人が死亡。生存者はわずか7人でした。
7人の生存者の中の1人、長谷部弘義さん(32歳)は、事故当時3歳でした。
フィリピン人の母とフィリピンに帰省していて、その帰りに事故に巻き込まれた長谷部弘義さん。長谷部さんの母親は亡くなり、長谷部さん自身も足や臓器に重傷を負いました。
「ザ!世界仰天ニュース」によると、中華航空機墜落事故の生存者7名が座っていた座席に共通点があるとのことです。
事故を起こした中華航空140便の座席表がありましたので、掲載いたします。
赤い印がついている座席が生存者が座っていた座席です。
生存者が座っていた座席の共通点については、「ザ!世界仰天ニュース」放送後に追記いたします。
【追記】
生存者7人が座っていた座席が両翼の近くだったことが助かった要因のひとつだったとのことでした。
長谷部さん以外の6人の生存者に関する情報はみつかりましせんでした。